教育・研究活動
研究開発

溝口 常俊(兼任室員・教授)

■研究開発事項

  1. 近世・近代の地誌データベース作成とその図像化に関する研究開発

■研究開発概況(テーマごとの課題内容と成果、今後の課題等)

1. 近世・近代の地誌データベース作成とその図像化に関する研究開発

 近世、近代の地誌、統計書をデータベース化し、それをGIS(地理情報システム)を用いて地図を作成し、創造的地域論の構築に努めた。2003年度は、尾張徇行記(文政5年)、愛知県の地籍帳(明治17年)、岐阜県各郡町村略史(明治14年)、隠岐の増補隠州記(貞享5年)の整理、屋久島の検地名寄帳(享保11年)、分析をおこなった。その結果、都市を中心に人口、土地、産業等の様々な項目値が漸移的に変化していくといったこと(尾張)、濃尾の大水田地帯で畑作(島畑)の地価が水田のそれよりも高く評価されていたこと(美濃)、各村落が農業、漁業、林業の三位一体の生業からなりたっていたこと(隠岐)、および、妻のいない家族構成の存在、従属農民の独立過程、焼畑の広範な分布とその人口支持力の意義(屋久島)などの新たな知見が得られた。
 GISの普及により分布図を無数に作り、一見関係なさそうなそれらを比較考察することによって近世・近代の地域像を甦らせ、その原因を考察することが可能になった。その一部を、名古屋市域内の田畑の分布状況を例にとって、検討してみよう。

<田畑の分布について>

  1. 仮説:名古屋市の地形環境(図1)からみて、東部丘陵地は畑一色、西部デルタ地域は田一色に近いであろう。
  2. ところが、各村別の田畑分布図(図2)をみると、予想以上に東部に水田が多く、西部に畑が多い。なぜ、そうなるのか、その正体を探ってみよう。
  3. 東部の水田は、中世からの谷地利用の小規模水田の開発に加えて、無数の溜池(図3)が水源となって、水田利用がなされていたのである。
  4. 西部の畑は、水田1筆の中にぽっかり浮ぶ島畑であった。この島畑は一つ一つが小さいので2万分1~5万分1地形図には表示されなく、まさに水田一色の世界であったが、1200分1の地籍図(図4)、あるいは約600分1の村絵図には無数に島状に表記されている。
  5. 結論:以上の考察から、何処の村も「田だけの村」「畑だけの村」はなく、田と畑が融合して存在していたという、当り前の姿が、実は日本の農村景観を代表するものであった。
図1 名古屋市の鳥瞰図(1890頃) 図2 田畑分布図(1672)
明治24年2万分の1迅速図に200mメッシュを入れ作成。中央部熱田台地の三角ピークが名古屋城。
図3 溜池の分布(1672) 図4 島畑の分布(1881)

■成果のリスト

[著書]

  1. 「明治17年の地籍図・地籍帳からみた尾張の景観と開発」愛知県史研究6, 2002.3,pp.47-64.
  2. 『日本近世・近代の畑作地域史研究』名古屋大学出版会, 2002.12, 440頁.

[書評・エッセイ]

  1. 「速水融編著『近代移行期の人口と歴史』ミネルヴァ書房2002.4」人口学研究31, 2002.11, pp.156-159.
  2. 「島畑の幸」『あじくりげ』東海しにせの会, 2002.8, pp.39-42.

[学会発表]

  1. 「近世屋久島の家族と経済」歴史地理学会, 於和歌山市民会館, 2002.5.25.
  2. “Household and Economy in Yakushima Island, Southeast Japan, 1726”, Social Science History Association(社会科学歴史学会), 於米国・セントルイス, 2002.10.27)

[講演等]

  1. 「G.W.スキナーの中国における中心・周辺論について」東アジアの都市システム研究会, 於国際日本文化研究所, 2002.10.5.
  2. 「甦る地域空間-簡易GISソフトMANDARAの紹介」歴史的空間情報の解析・解釈法の研究研究会, 於国際日本文化研究所, 2003.2.26.
  3. 「甦る地域空間-尾張と美濃の近世・近代」名古屋大学付属図書館講演会『地域資料の高度活用にむけて』, 2003.3.8.
  4. 「三河地域史をいかに語るか」豊橋中日文化センター公開講座, 2003.3.13.

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